1. 身近にあふれる時空の考え
「あそこにあるプリンとって」「昨日見た映画、すっげえ面白かった」
おいしそうなプリン。このプリンも時空の中に存在している…
「あそこにあるプリンとって」「昨日見た映画、すっげえ面白かった」「さっきの車すっごい速かったな」「次の地震はいつどこで起こるかな?」。みなさんは、こういう発言を日常的にしているかもしれません。しかし、ここの会話で用いられている「あそこ」「昨日」「速い」「いつどこで」という言葉は、「時空」、つまり時間の流れや空間の広がりがあるからこそ、成り立つものです。「やっぱりこの記事はあとで読もう」と、ここまで読んで考え始めたあなた。そんな感想を持てるのも、やはり、時空の広がりがあるからです。
我々はこの「時空」があるからこそ、このように世界に関するさまざまな物事を論じることができます。逆に、時間と空間がなければ我々はこの世界をイメージすることさえままならないのです。「でも、この世界ってどうやってはじまったのだろう?」誰しもが一度は、この世界(あるいは宇宙)の果てや「時間」の始まりを考えたことがあるかもしれません。しかし、時空が当たり前に存在しているからといって、これらの問題に答えるのは容易ではありません。これらは哲学の問いとも繋がり、物理学によっても熱心に研究されてきました。実際、「時空」はこの世界に生きる我々と同様に、世界の真理を追求する物理学や哲学においても重要な基盤なのです。この根本的な基盤の存在を巡って議論するのが時空の哲学です。
2.時空に対する問い掛けは昔から
時間や空間は、我々の日常生活にあまりにも深く浸透している概念であり、大昔から人々の思考に刺激をあたえる格好のネタになっていました。たとえば、ギリシャ神話のクロノスやインド神話に出てくるカーラ神などは「時間」を象徴するといわれています。また、中国には盤古といわれる巨人が天と地を分かち、その間に空間を作ったという話があります。人々は古代の昔から、時空に興味をもち、その「なぞ」をさまざまな形で語り継いできたのです。
時空を題材にした哲学的な考察は、まだ世の中に哲学という学問しか存在しなかった古代ギリシャの現存する文献や中世の論争などに見受けられます。古代ギリシャでは、ゼノンのパラドックスと呼ばれる有名な話があり、「時間を無限に分割すれば、飛んでいる矢はどの時間で見ても常に止まっている」というような、現代で言うところの「物体の運動」を時間と結び付けるようなアイデアもありました。
ゼノン(BC490頃 ~ 430頃)
また中世のヨーロッパでは、時空内に存在するものを具体的な存在者と考えて、逆に時空には存在しないような「数」や「感情」といった抽象的な存在者と対応づけて、「この抽象的な存在者が、時空内の存在者と独立に果たして存在するのか」といった問い掛けを中心に、普遍論争という名前で現代まで語り継がれてきました。
つまり近代科学が成立する遥かに前から、人々は時空間に関する問いを考えていたのです。
3.近代科学と時空の議論
もしかしたら、現代では「時空」といった場合に、縦と横と奥行きの座標軸をイメージする人が多いかもしれません。このイメージは、哲学者でもありデカルト座標という名でも知られるデカルトの発案であり、時空間に目盛りを付けて数学的に扱おうという新たな試みでした。このデカルトこそが近代哲学だけでなく、近代科学の祖として世の中に科学を生み出す大きなきっかけになったのです。
ニュートン vs ライプニッツ 空間は最初から存在するか否か
時空って何?
「時空は本当にこの世界に存在しているのか」というのは、一見「哲学」的な問いになりますが、しかし近代においてかつてはひとつだった哲学と科学がわかれていくにつれ、時空の問題は「科学」の問題にもなってきました。例えば近世のヨーロッパで近代科学として初めて物理学という体系を築き上げたニュートンは、自身の力学において、
時空は絶対時空という、世界に存在する物体の容れ物である
と考えておりました。これは、物体は「絶対空間」と呼ばれる枠組みのどこかの位置に存在し、世界中のどこであっても、等しい速さで一様に流れる絶対時間の中で、その位置を変えながら運動しているというニュートンの仮説です。そしてニュートンによって、物体の運動が数式を用いて定量的に考察されるようになり、本格的な科学の幕開けとなりました。こうして哲学として語られていた時空は、科学によって、現象を論じる際の基礎付けとなったのです。
科学の体系を作り上げる上で、仮説や仮定が少ないことが美徳とされるのは今も昔も変わりません。「我は仮説を作らず」という有名なフレーズを残しながらもニュートン自身、重力の作用を数学的に定式化した新たな体系を構築する上で、最低限時空の存在を仮定せずにはいられなかったということでしょうか…時間や空間が物体の容れ物として予め存在しているという発想は、17世紀当時の世界観においては割と常識的だったのかもしれません。
ライプニッツ( Gottfried Wilhelm Leibniz )
しかし、ニュートンと同時期を生きたライプニッツによれば、このニュートンの「絶対時空」を仮定せずとも世界は語ることができます。ライプニッツは、時空間は物体の容れ物として最初から存在しているのではなく、むしろ物体が存在することで初めて相対的な位置関係として空間が生まれるのであり、時間はそれらの位置関係が変化することによって初めて意味を成すという、ニュートンへの対抗馬の哲学を唱えました。つまり、時空はあくまで物体同士の関係によって副次的に与えられるに過ぎないと考えたのです。
このライプニッツの考え方に従えば、もし世界に物体が何も無ければ空間という広がりはナンセンスであり、もし世界のあらゆる物体がフリーズすれば、時間は流れないという解釈になります。つまり、物がなくても世界の容れ物としての時空が存在すると考えたニュートンに対し、ライプニッツは物があるからこそ、その関係性としての時空が存在すると考えたのです。
ニュートンとライプニッツのこれらの哲学の違いは、一見したところ単なる思弁的な発想に過ぎないのかもしれません。というのも我々は、もし世界に存在する物体が全て無くなった際に、空間が実際に存在しているのかどうかを調べる手立ても、ましてや世界中に存在する全ての物体がフリーズする状況を作り出す手段も持たないからです。
観測や実験によって確認が出来ないということは、時空のあるなしのどちらの解釈が正しいのかということに関して、科学では決着が付けられないということを意味します。つまり、こういった議論は科学の範疇を超えた、純粋な哲学上のテーマなのかもしれません。科学が自然哲学として哲学の1分野であったこの時代には、科学と哲学は常に隣り合わせであり、このように科学者(哲学者)は同時に哲学にも取り組んでいたのです。
4.アインシュタインは時空の学問をどう変えたか~非ユークリッド幾何学と脱ニュートン的時空観~
時空という概念に革命的なアイデアを与えたのはアインシュタインでした。「時空は存在しているのか」という難解な問いには、ニュートンやライプニッツ以降にも多数の挑戦者がいました。なかでもアインシュタインが出てくる少し前の19世紀後半にマッハはライプニッツ流の考えを引き継いで、目には見えない絶対時空といった存在を仮定するのではなく、物事は我々が日常で感じる「聞く」「見る」「触る」といった、自身の感覚器官より伝わる直接の経験のみによって語られるべきだという極端な経験主義的主張を掲げました。
時空が実際に物体の容れ物として存在しているのかどうかはさておき、 当時、 ニュートン力学は、ユークリッド幾何学の空間を前提としていました。ユークリッド幾何学とは、我々が最も直感的にイメージしやすい真っ直ぐで平坦な空間のことで、そこに書かれた任意の三角形の内角の和はどれも180度であり、どんなに大きな円を書いても円周率は必ずπのままだと信じられておりました。例えば地球上でボールを前方に投げると、ボールは重力によって地面に引き付けられるので、放物運動を行いますが、これはニュートンにとっては、平坦な空間の中を重力場によって曲がって進むという解釈になるのです。
ユークリッドは、BC300年頃の人物で、三角形の定理などを記した有名な『原論』の著者
しかし、数学の世界では既にこの時期において、リーマン等によって非ユークリッド幾何学が誕生しており、内角の和が180度を超える三角形や円周率がπに一致しない平面幾何学も存在しておりました。しかし、これは数学上成立する話であり、この物理的世界はあくまでユークリッド的であるというのが当時の常識でした。そしてこの常識を打ち破って、物理的な時空概念をさらに一般化したのがマッハの思想を受け継いだアインシュタインです。
特殊相対性理論の時空観~動いている物体は伸縮して見える~
彼はまず20世紀初頭に提唱した特殊相対性理論において、絶対時空という絶対的な枠組みを放棄し、時空の状態は見る人によって相対的であるという主張をします。この「見る人」とは、限られた状況に置かれた観測者のことですが、アインシュタインは、時間の流れはこの観測者によって異なり、動いている物体は伸縮して見えるという従来の力学にはない驚くべき帰結を生み出しました。
ドラゴンボール「其四百一 かめはめ波フルパワー」より
丸が楕円になり、伸縮して書かれている(攻撃されているのはセル)
さらにアインシュタインは、特殊相対性原理の提唱から10年以上経ってから、時空や観測者の状況をさらに一般化し、いかなる運動状態の観測者から見ても不変な物理学の構築を完成させます。これがいわゆる一般相対性理論であり、空間はユークリッド幾何学のような平坦な構造ではなく、物体が及ぼす重力によって曲げられ、また時間はその重力の強さによって流れる速さがまちまちになるというように、非ユークリッド幾何学の1つであるリーマン幾何学的な時空が定式化されるのです。すなわち、時空は物体と相互作用しながら構造を変化させ、ニュートン時代には「平坦な空間に存在する重力場の中を曲がって進む物体の運動」が、アインシュタインによって、「重力によって曲げられた時空の中を真っ直ぐに進む物体の運動」と書き換えられたのです。
5.アインシュタイン以後
さて、時空の学問の新しい局面は、このアインシュタインによって迎えられ、その後さまざまに展開していきます。科学によって絶対時空が消え去った後でも時空の存在に関する哲学の議論は決して尽きることはなかったのです。
その後の流れとしては、一般相対性理論を元に宇宙を表す時空構造が議論されるようになり、科学が本格的に宇宙の仕組みや成り立ちの解明に進出していくというものです。アインシュタインはマッハの思想を深く信奉しており、当初時空は、あくまで物体によって副次的にその構造が与えられているという、ライプニッツ的なマッハ原理を徹底していました。その影響で自らの方程式をやや変更し、宇宙空間には限りがあり、その上宇宙は全体で見れば静止しているという静止宇宙論を掲げます。
しかし、その後、時空と物質を敢えて二分化することの限界が見えてきて、結局アインシュタインは、マッハ原理を諦めて、時空も物質も存在する「場」の一形態であるという統一理論の完成に向かうことになります。脱ライプニッツが、ここで行われたのです。これは物質や物体などの一般的なモノも含め、電磁気学に登場していた電磁場や時空の曲がり具合を表す重力場も、究極的には同じ存在(構造)であるという新たな哲学になります。
この新たな哲学では、世界は時空とモノの二分法ではなく、何らかの構造があるだけであり、我々はその構造のある側面をたまたまモノと呼んだり、あるいは時空と呼んでいるに過ぎないという世界観になります。このように、科学の最前線では物理学者による新たな哲学が加えられ、時空観も絶えず変化していったのです。20世紀の物理学は大いなる進歩を遂げましたが、結局は絶対時空が否定されたところで、時空の哲学は決着するどころか、その形を変えてこの後現代でも続いていくことになるのです。次回の「時空研究の最新理論」では、このあたりから、最新の議論までをお届けします。
現在、こちらの文章をお書きになった藤田博士の時空の哲学をあつかった博士論文を準備中です!!2020度中に、今回の内容+より最新の議論+藤田先生の最新の見解をお送りします。
今回の学び:
Point 1 時空の議論は神話の時代から続く雄大な問題
Point 2 ニュートンとライプニッツの議論は、時空がはじめから用意されているかいないかという違いがある
Point 3 アインシュタインの一般相対性理論が脱ライプニッツ的な時空論を導いた