1. 音にも歴史がある!?
「歴史」と聞くと多くの方は、日本史や世界史など、学校の授業を連想するかもしれません。高校までの歴史「教育」では、主に織田信長や、ナポレオンが出てくる政治や戦争の歴史について学びました。しかし、歴史学の対象は、政治や戦争に限定されません。たとえば音楽や芸術も対象になります。しかし今回の対象は、音楽ではなく「音」そのもの。現在、世界史で過去の世界の「音」に言及している教科書はほとんどありません。しかし、言葉が発明される前より、声や音などの、耳から獲得する「聴覚情報」は私たちの社会、私たちの生活のなかで重要な役割を果たしてきました。
2.音楽研究とのちがい
さて、音の歴史というと「音楽研究ではないのか?」と思う方もいらっしゃるでしょう。両者の違いは、音楽学や音楽史学ではおもに、偉大な音楽家や「傑作」の理解が目指されるのに対し、音の歴史学的研究では、あくまで過去の社会の在りようを理解することが目的とされている、という点にあります。美的な「音楽」を対象とする音楽学・音楽史学と、目的に応じてそれ以外をも研究対象として拾い上げる歴史学、といっても良いかもしれません。さて、ではどのようにして、この「音」の歴史学が成立してきたかを簡単に見てみましょう。
ザルメンの「音楽社会史」からアナール学派、サウンドスケープまで
音楽学や音楽史学が軽視してきたトピックに、はじめて着手したのは音楽史家でした。音楽学や音楽史学では従来、音楽はそれ自体独立したものであり、社会から切り離されたものと考えられがちでしたが、中世音楽史家のヴァルター・ザルメンは、1960年代以降、音楽も社会の一部だと考え、演劇における効果音や無名の演奏家について研究しました*1。ザルメンの研究や彼の影響を受けた研究は、「音楽社会史」とでも呼べるでしょうか。日本人では音楽学者の上尾信也が、ザルメンの教えを直接受けています*2。
一方、歴史学でも1970年代以降、アナール学派のなかから、人間の感性に着目する研究が生み出されるようになります。アナール学派はフランスの歴史家集団で、1920年代に活動を開始して以来、20世紀の歴史学を牽引してきました。当初、アナール学派では「全体史」が目指され、従来の歴史学において見過ごされてきたテーマに脚光が当てられました。そのなかで70年代以降には、「男らしさ」や「性」、さらには「五感」をめぐる感性の研究が進むことになります。このような「感性の歴史学」の一部として、歴史のなかの音も考察されるようになったのです。
さらに、1970年代には、カナダの作曲家マリー・シェーファーが提唱した概念「サウンドスケープsoundscape」が注目を集めました*3。サウンドスケープとは、視覚的に環境を理解する「ランドスケープlandscape」概念に対し、同じ環境や社会を、聴覚情報の側面、すなわち「何がどう聴かれているか」という側面から捉える考え方です。サウンドスケープ概念の登場により、生活音や騒音など、今まで見過ごされていた音が、注目を浴びるようになりました。歴史学との関連では、「歴史的サウンドスケープ Historical Soundscapes」の語が、主に英語圏を中心に用いられているようです。以上のように、歴史のなかの「音」をめぐる研究は、さまざまな分野を横断するかたちで発展してきました。
では、音をめぐる歴史学の成果について、簡単に見ていきましょう。
*1:ヴァルター・ザルメン(上尾信也、加藤博子訳)(1994)『「音楽家」の誕生―中世から現代までの音楽の社会史』洋泉社などを参照。
*2:上尾信也(1995)『楽師論序説―中世後期のヨーロッパにおける職業音楽家の社会的地位―』国際基督教大学比較文化研究会、上尾信也(1997)『歴史としての音―ヨーロッパ中近世の音のコスモロジー―』柏書房などを参照。
*3:マリー・シェーファー(鳥越けい子他訳)(2006(1977))『世界の調律―サウンドスケープとはなにか』平凡社ライブラリ。
3. 鐘と共同体
オーディオ・スピーカーを思い浮かべてください。音量が大きければ大きいほど、音や声はより多くの人に共有されますね。ヨーロッパの都市には中世以来、教会の鐘という巨大な音響装置がありました。イタリア語には「カンパニリズモ Campanilismo」という言葉がありますが、これは「同じ鐘の音によって結ばれた共同体」、ひいては「郷土愛」を意味します。聴覚情報、なかでも教会の鐘には、共同体の象徴としての機能もあったということが、ここから読み取れます。
コルバンの研究ー感性の変化について
「感性の歴史家」として名高いアナール学派のアラン・コルバンが、聴覚という切口から歴史を考察する際に研究対象としたのも鐘でした。コルバンは『音の風景』という著作のなかで、19世紀フランスで起きた鐘にまつわる1万件以上の紛争を分析し、かつて教会の鐘の音が共同体のアイデンティティの象徴だったことを明らかにしました*1。この研究によって、世俗化(脱キリスト教化)が進んだ19世紀においても、教会の鐘をめぐる対立が、行政当局とキリスト教徒のあいだで見られたこと、さらに、市町村間でも鐘にまつわる紛争が見られたこと、などが明らかとなりました。鐘の音は、メロディや鳴らされる回数によって様々な意味を持っていましたが、21世紀のフランス人の多くはそれを理解することも、ましては自分が「属する」地域の鐘の音を聞き分けることもないでしょう。コルバンは鐘の音にまつわる、今は失われてしまった「感性」を見事に描いたのです。
ハーファーカンプの研究ー鐘と共同体
鐘と共同体の関係を扱った論文には、もう1本有名なものがあります。ドイツの社会史家アルフレート・ハーファーカンプによる「「大鐘を鳴らして知らしめる」~中世の公共性について~」という論文です*2。
社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスは「共同体全体に関わるもの・こと」を「公共性」と呼び、前近代の社会には権力者のステータスシンボルとしての公共性しかないと論じました。ある人物が、その地位にふさわしい振る舞いをする時、その人物は自分が属する社会のヒエラルヒーを反映していることになります。しかし、このハーバーマスの視点は、中世社会の人間関係のうち、封建関係による縦の結びつきにのみ注目し、それ以外の、たとえば都市共同体などの関係を検討していません。そのため多くの中世史家がハーバーマスに異論を唱えました。そのなかで教会の鐘に注目し「音」の側面から仮説を提出したのがハーファーカンプです。
ハーファーカンプは中世都市をキリスト教徒の共同体と考え、都市中に響き渡る教会の鐘を共同体全体に関わる一種の聴覚メディアと見なしました。そして、鐘の音が共同体の象徴だったことや、その音が共同体の構成員全体に関わっていたことから、鐘と中世の「公共性」の関りを示唆しました。ハーファーカンプのこの仮説を実証するため、この後ドイツでは「鐘と共同体」の個別研究が進むこととなります。
以上はいずれも、ヨーロッパ現地の研究者による著作でしたが、近年では日本人研究者による鐘の研究も進んでいます。関心をお持ちの方は、池上俊一(2016)*4や、大島渚 (2017)*5などをご参照ください。
*1:アラン・コルバン(小倉孝誠訳)(1997(1994))『音の風景』藤原書店。コルバンには他に、修道院における「静寂」を分析した『静寂と沈黙の歴史』という著作もあります。詳しくは以下をご参照ください。アラン・コルバン(小倉孝誠訳)(2018)『静寂と沈黙の歴史』藤原書店。
*2:アルフレート・ハーファーカンプ(2018(1996))(大貫俊夫他訳)「大鐘を鳴らして知らしめる―中世の公共性について―」『中世共同体論―ヨーロッパ社会の都市・共同体・ユダヤ人―』柏書房、151-204頁。
*3:ユルゲン・ハーバーマス(細谷貞雄, 山田 正行)(1994(1962))『公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究』未来社。
*4:池上俊一(2016)「ヨーロッパ中世における鐘の音の聖性と法行為」『思想』11号、6‐26頁。
*5:大島渚 (2017)「19世紀イングランド農村における落穂拾いの規律化: 落穂拾いの鐘を中心に」『西洋史学』263巻, 18-35頁。
4.音としての声
上では鐘の音について触れてきましたが、「声」そのものについての研究もあります。
私たちは通常、言葉を用いてコミュニケーションを取ります。言葉は言葉それ自体の「単語や単語の連なり」が意味を持ちますが、実は「言葉を発する」行為そのものが意味を持つ場合もあります。フランスの犯罪史家ヴァレリ・トゥレイユが着目した「叫び」も、そのような例の1つです。前近代の社会では、教会での典礼から戦場まで、様々な場で「叫び」が利用されていました。トゥレイユは、裁判史料の分析をとおし、もともと窃盗犯への批難の表れだった「泥棒!」という叫びが、しだいに法な意味を帯びるようになり、叫ばれた側の社会的信用を損なう効力、さらには居合わせた第三者を強制的に取り押さえに参加させる効力を持つようになったことを明らかにしました*1。
一方、中世イタリア史家の大黒俊二は、発された音声が文字として固定される過程に注目しました。大黒はもともと非識字者(文字を読めない人)による発話が、識字者(文字を読める人)の代筆によって記録される過程などを研究していましたが、論文「声のゆくえ」では、15世紀イタリアで記された3種の筆録説教(信者が市場などで聞いた説教を自分のために書き取ったメモ・記録)を分析し、記録の形態や目的を概観しました*2。その結果、メモから清書した筆録説教もあれば、その場で可能な限り忠実に口上を書き残したものも存在すること、また、筆録者は説教の筆写を通して、その内容を理解し身に着けようとしていたことが明かされました。異なる特徴を持つ史料群を扱った同論考では、声が文字に転化する過程が持つ多様性の、その見取り図が描かれたと言えるでしょう。
*1:ヴァレリ・トゥレイユ(梶原洋一訳)(2016)「恐怖の叫びと嫌悪の叫び―盗人に向けられる「アロ」中世末期フランスにおける叫びと犯罪」『思想』11号、27-41頁。なお、同論考の元となった論文が収録されている論集Didier Lett, Nicolas Offenstadt(sous la direction de)(2003)Haro ! Noël ! Oyé !: Pratiques du cri au Moyen Âge, Éditions de la Sorbonneも、叫びにかんする共同研究の成果物です。
*2:大黒俊二「声のゆくえ―15世紀イタリアの筆録説教から」『思想』11号、65‐79頁。なお同氏は、大黒俊二(2010)『声と文字』岩波書店という中世史の概説書も記しています。
5.他分野における研究
第3節と第4節で紹介した著作はいずれも、歴史家による研究でした。しかし、過去の音にまつわる研究は、他分野でも展開されています。東南アジア民族音楽の専門家であり、ガムラン演奏家でもある中川真は『増補 平安京 音の宇宙 サウンドスケープへの旅』のなかで、京都のサウンドスケープを描き出しました。中川は『源氏物語』や『枕草子』から平安期の宮廷の音を、『今昔物語』から平安京の鬼の声を抽出したほか、京都のお寺の鐘を音響学的に調査し、平安京の梵鐘配置が中世の仏教思想を体現していたと論じました。本書ではそれ以外にも、東南アジアのサウンドスケープが紹介され、さらには芸術とサウンドスケープの関係も示唆されます*10。演奏家であり現代アートにも造詣が深い人物の著作ということで、歴史家の作品とは一味違う内容になっていると言えるでしょう。
さらに「サウンドスケープ」というテーマのもと、学際的な共同研究が組まれることもあります。イギリスのニューカッスル大学で編まれた論文集Cultural Histories of Noise, Sound and Listening in Europe, 1300-1918 には、文化理論家から建築学者まで、非常に多様な分野の研究者が参加しました*11。この本には12本の論文が収録されていますが、専門を異にする研究者がそれぞれの視角から、中世から現代までのヨーロッパ諸地域における「歴史的サウンドスケープ」を論じたのです。ややヨーロッパ中心主義的、近代主義的な論集ではありますが、「歴史のなかの音」のポテンシャルがうかがえる内容だといえるでしょう。詳しくは拙文をご参照いただけると幸いです*12。
*10:中川真(2004)『増補 平安京 音の宇宙 サウンドスケープへの旅』平凡社ライブラリ。
*11: Biddle, Ian& Kirsten Gibson(eds.) Cultural Histories of Noise, Sound and Listening in Europe, 1300-1918, Routledge.
*12:吉田瞳(2019)「<書評>Ian Biddle and Kirsten Gibson (eds.): Cultural Histories of Noise, Sound and Listening in Europe, 1300-1918」『京大西洋史学報 フェネストラ』3号、18-24頁。
おわりに
この記事では、美的なもの、政治的なもの、視覚的なものととして「音」が学術研究の射程に入ってきたこと、歴史学では鐘や声の機能が注目を浴びていること、他の分野でも「歴史的サウンドスケープ」の研究が進んでいること、などについてまとめました。もし歴史のなかの「音」に興味をお持ちいただけたなら、是非、この記事で紹介した論考を手に取ってください。
今回の学び
・「音の歴史学」では、音の背景にある社会や価値観を研究対象としている
・「音」や「声」の役割にも歴史的な変化や文化の違いがある
・サウンドスケープという、社会や歴史を「音」の側面から研究する分野がある