世界の「千と千尋の神隠し」ポスターの比較文化論

某博士
千と千尋のポスター比較の記事の画像

「千と千尋の神隠し」が日本で最初に公開されたのは2001年7月20日。私がまだ中学生の頃だ。子どもたちが夏休みに入るタイミングで公開され、興行収入は300億円超えという異例のヒットとなった。2016年に新海誠の名前を日本中に広めた「君の名は。」でおよそ250億円というから、どれだけの人が「千と千尋の神隠し」を見たのかは驚くに値する。最近では中国で公開され、そのポスターの魅力もさることながら大ヒットとなっているらしい。日本でも、当時、暑い日差しの中を並んで映画館に見に行った人がいるのではないだろうか。私は、友人と友人の父親と一緒に見に行った。映画代をおごってくれた友人の父は、最近腰を痛めているらしい。さて、ポスターの話に移ろう。今回は各国のポスターに見る文化の差異である。まずは日本からだ。

日本のポスターに映し出されているもの

日本版ポスター1

この青を基調としたポスターは、今だ多くの人の記憶の中にあるだろう。結論から言えば、千尋が、澄んだ水の中に沈み行く中で、何か希望を見つけたという期待感が表れているこの日本のポスターには、当時の日本社会が、かつての栄光の興奮冷めやらぬ中で抱いた、先行き不安な気持ちが表われている。実際、このポスターは、人生はさまざまな困難があるが希望を失ってはいけないというメッセージを、子どもたちに与えていた。1990年代という、私の小学生時代から徐々に耳にするようになった「自分探し」という言葉が流行り始めたのも、ちょうど「千と千尋の神隠し」が公開された頃だから、そのような世相を表しているのかもしれない。水の中であがきつつも、人生をまっすぐ見てさえいれば、正しい答えや、期待を裏切らない人生がまっていると、このポスターは訴えかけているようだ。

日本版ポスター2

「千と千尋の神隠し」の1つ目と2つ目のポスターには、「トンネルのむこうは、不思議の町でした」という共通のフレーズが書かれている。しかし、よくよく考えると、この「不思議の町」とは、日本の伝統的な価値観あふれる町である。私自身も、おそらく海外の人も、すでに実在しない「日本文化」という理想郷──宮沢賢治の言葉を用いればイーハトーヴォだ──に一種の憧れのようなものを感じている。しかし、このポスターにブタが描かれているように、このアニメの中では、それは決して「理想郷」という言葉から連想されるような、綺麗なものではない。人間の欲や、神々に転写されている人々の傲慢さにあふれた町なのだ。日本の文芸は、私小説とマンガやアニメの影響からくるコミカルな非現実性に支えられているが、この作品はアニメでありながらも社会的な現実を捉えている。日本人にとって、すでに「不思議な町」となってしまった伝統的「日本」を回顧しつつも、もはやその世界は成長の一過程でしかなく、現代とは切り離された世界であることを、このポスターはみごとに伝えている。

世界中で人気となった中国のポスターに映し出されているもの

最初に2019年に公開された中国版の「千与千尋(千と千尋)」のポスターを見た時、感じたことが2つある。それは、中国の価値観が近代的な「自己」を中心に形成され始めているということ、そして日本の影響を素直に取り入れる社会的な土壌ができつつあるということだ。

まず千尋が小さな自分に手をかざしているポスターを見てほしい。「自分を捨てないで」という中国語が書いてある。

中国語版ポスター 2019年に公開され、日本でも話題になった

日本人にとって「千と千尋の神隠し」は、すでに別次元のものとなった過去の伝統的な世界観の中で、成長し、その後非伝統的な世界にもどっていくというストーリーであったが、中国版の場合は、日本人が感じ取っていた「伝統」は単なる「異国ファンタジー」として消化されているらしい。そしてそのかわりに、この物語が異国ファンタジーにおける、純粋な成長ストーリーとして受け取られているようだ。ポスターの構図としては、自分の中にいる小さな自分を、心が折れないように励ますという形で描かれている──インナーチャイルドという言葉を思い浮かべた方もいるだろう。これはもしかしたら、多くの中国人が、本当は弱い自分を自覚しつつも、強くふるまわなければならない社会に疲れているということを意味しているのかもしれない。

中国語版ポスター

 さらに左の、龍のいる線路の上を千尋が走るポスターには、「振り向かず、前を見て」と書いてある。これは、外国なのだから当然であるが、過去の伝統に回帰する中で成長する物語という日本文化的な捉え方とは、一種真逆の意味を持っている。おそらく現代中国において、「千と千尋の神隠し」は、醜く、欲望にとらわれた人が周りにたくさんいても、自分だけはまっすぐ生きるというメッセージを伝える物語なのかもしれない。そしてこれは、勤勉で、前向きに頑張って発展してきたという、中国人がひそかに持っている日本のイメージと相反するものではないだろう。まっすぐに前を向いて努力すれば、良い人生が歩める社会。そんな期待感も現れている。

 見ての通り、各ポスターは「日本」という文化的な背景をそのまま取り込みつつ、独自の想像で見事にアレンジしているという点において、デザイン性が高い。今回のポスターは、多くの人に新しい中国のあり方をアピールしたはずだ。海外のものを取り入れるだけではなく、独自の視点で切り取ることができる。この独自性に、さまざまなデザイナーが影響を受けただろう。

英語圏とスペイン語圏のポスターに写し出されている対比

英語版ポスター

スペイン語版ポスター

さて、次に英語圏のおそらく最も有名なポスターとスペイン語圏のポスターを比較していこう。これらの国では、日本公開の翌年2002年に映画が公開されている。正直のところ、右のスペイン語圏の方が「海外の考える東洋文化」というイメージが強く出ているため、国外の作品としてはわかりやすい。ただ、タイトルは「千尋の旅」とだけしか書いておらず、どちらかというと異国における少女の不思議な体験を描いた、子供向けのアニメ映画という印象を全面的に押しているように思える。

しかし、その対比として、英語圏の左のポスターは簡素であり、単なる子供向けのアニメ映画ではないと思わせる何かがある。これまでに見てきた日本や中国のポスターとは比べ物にならないほど暗い背景に、ぽつんとたたずむ少女の姿は、幼いながらも「人間の真理を獲得した」という雰囲気を漂わせている。日本のポスターは、水の中というきれいな、しかし苦しい中で何かの救いがある、もしくは誰かの救いの手がある、ということを思い起こさせるようなイメージで描かれていたが、英語圏のそれは、まるで自分一人で真実を手に入れたかのようなたたずまいである。中国のような、自分で自分を励ますといった感じでもない。そこにはただ、芯の強い少女が立っているだけなのだ。英語圏では、子どもの成長は誰にも頼らずに自律して生きる力の獲得だと思われているのかもしれない。

おそらく、豚がいなくなったのは、豚を穢れた動物だと見る聖書的な価値観が、真理を見据える少女の凛々しい姿の横にふさわしくないと思わせたからかもしれない(実はこのポスターのイメージ自体はドイツやフランスでも用いられている)。あるいは、動物を描いた牧場アニメだと思われるのを避けるためか、豚が子どもに人気のない動物だと判断されたのかもしれない。いずれにせよ、この英語のポスターは、高度に自律した人間になる少女の成長を描いたものだというイメージを、見るものに与えたはずだ。

その他の国の「千と千尋の神隠し」ポスター

フィンランド版ポスター    

スロベニア 版ポスター   

ポーランド 版ポスター   

これらのポスターは、おそらく最も宮崎が意図した作風からかけ離れたメッセージを伝えているものである。ただし、国ごとに普及させる戦略が異なるため、それはしょうがないのかもしれない。いずれにせよ、この三ヵ国のデザイナーには、直接話して意図を聞いてみたい。

 まず一番左のポスターは、フィンランドのものである。映画は2002年に公開されている。「Henkien kätkemä 」とは、そのまま「神隠し」という意味である。なぜこんな簡素な建物が背景に置かれているのかはわからないが、フィンランドは森が豊かで知られており、昔から昼に出かけた人が帰ってこなくなる「Henkien kätkemä (神隠し)」という現象があったらしい。このポスターの背景は、フィンランドの伝統文化のイメージにおける「神隠し」を想定しているからこんなに明るいのだろうか。そして「神隠し」というタイトルが付いてても怖くないアニメだということを伝えるために、カオナシではなく、こんなにかわいいキャラクターを配置させたのだろうか。いずれにせよ、独特である。

加えて、真ん中のスロベニアのポスターは、完全に「千と千尋の神隠し」を少女とイケメン少年の恋物語に仕上げてきたものである。題名の「Čudežno potovanje」は、直訳すると「奇跡の旅」だ。その上の売り出し文句は、「愛と友情が出会い、恐怖が克服される」という意味であるらしい。まるで70億分の1人に出会う少年少女の奇跡の物語という感じだ。確かにこのシーンは映画でもあるのだけど、千尋が恋に恋する乙女になっているようだ。赤と白の花の色も、情熱と純血の愛というイメージを喚起させる。

そして最後は、ポーランドである。題名には英語の主題に「神の国にて」というポーランド語の副題がつけられている。ポーランドでは、英語圏で一神教と多神教の神をGodとgodsと分けるように、Bógとbogowieで分けるらしい。このポスターのBogowはBogowieの対格(格変化のひとつで「神の」をここでは意味する)であるから、日本の神々に対し、土着の自然神のイメージを重ねていると言える。が、それにしてもこの円は何を意味するのかよくわからない。神隠しを表現しているのだろうか。確かに、これまで紹介したどのポスターよりも、謎めいた感じが十分に出ている。もはやこのポスターの意味自体が、謎に包まれているようだ。文化の差異で、こうも捉え方が違ってくるのだ。

※今回の各ポスターは、amazonや各国の映画紹介サイトから引用しました。
一覧のものとしては、こちらからご参照いただけます。

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